みんなで読書を 読書感想文 有島武郎

描かれた花
本日歩きて曰くパンが食べたいとあり、パン屋に立ち寄ったところ見たことがない少女に出くわした。私はこの町に引っ越してきて一年になるが、このように顔の小さく、脚の細く、背丈の大きな、しかし圧倒的に少女である女に出くわしたことは初めてであり、彼女は何のパンも持っておらず、脇にいるこの少女と血縁があるとはとても思えぬ肥えた女がトレイを持ち、幾つかのパンを乗せ、レジを打つ者に、あのパンはないのか、このパンはどうした、そのパンはなぜ焼けておらぬ、とこちらの耳まで肥え太るような苦言を次々に発し、私は少女のうなじに視線を向け、そして薄い青のジーンズを内から張り裂かんとするようなその若い肉の迸りに絶頂を迎え、恍惚至極にありてトレイに乗せたきなこパンも芥子と化すこの陶然に身を任せていたのだが、少女は一向にこちらを見ぬ。私は自ら申し上げるもおこがましいが相貌美形にして長身にしてその骨格麗しくあり、ライダースジャケットも青の差し色でさらに黒の畝を悶えさせ、少女からしてみても悪しからぬ風貌を湛えていると自負する。しかしながら少女はこちらを向かず、年少のものが使うべく開発された携帯電話で誰やら何者かと楽しげに話し、窓外を見ては誰ぞに手を振る。私には振らぬ。芥子を吸わねば遣っておれぬ。なぜに私と少女の、ここでいう少女とは一般化されたものだが、少女との間には深くて暗い河があるのか。愛と勇気だけでは遣っておれぬ、この片衣敷いた閨にて流す熱い涙はいつだって全開なのである、少女の美しさ、その細いうなじ、柔らかな髪の毛、ローティーン向けファッション雑誌をそのままコピーしたような、毎年流行があるようでない幼きファッション、しかしその萌芽、ホットパンツ、パーカー、太からぬ矛盾を孕んだ太腿、こむらがえりになりたいと思わせるその脚、足首の細さ、全ての細さ、しかしなお主張する腰の柔らかな曲線、くびれ、小さな靴、小さな顔、目がまだ何事の風景も映していない純潔をみだりに伝える、その視線、嗚呼、少女よ!あなたは美しい!と私が天を仰いでいる今も、少女の目は風景を映す、少女は知る、少女が片衣の寂しさを覚える、その指は視聴覚室で聞き習ったなるほど和名ではそう呼ぶのか、と得心したあの部分へと!嗚呼少女よ!CALL ME CALL ME yehyeh!少女の煌きに幻視を、見た。私の原始が暴れだす、誰か、この寂寞に名前をつけてくれないか、なぜ少女は私を知らぬ。なぜ少女は私を知らぬまま風景を重ねていく。なぜ少女は。私は。少女は肉塊に先んじてパン屋を出、残された私は肉と脂身と、断層を見るようにその蓄積された風景の、そのおぞましき世界を、私は見上げるように。世界は聳えたち、糞となる。ならば少女よ、私の断層を、全てあなたで書き換えてくれないか。そうしたら私は。私は。少女の美が、今日も飛蚊のように蝗のように、檻のように届かぬこの手の悔しさと、諦めと、不能に、打撃する。それは私を、慟哭させるに十分であり、しかし励起するのは心だけに非ず、風景が、私を包むのだ。少女よ、あなたは美しい。

ボーナストラック・トゥ・レ×ミオロメン・イン・ザ・ワールド 

 
あそこ、林のところ、人間学園にも女子はいる、俺は校舎から続く舗装された裏門への道を、腕章を付けながら歩いていた、すると、甲高い、甲高い声が俺は苦手だ、砂のような、ざらざらした感触が、俺はいい、声で、同じく腕章を付けた生徒が告げる、俺はその様子を一瞥して、今日も制服が似合っていて、今日も制服を記録したがっているな、と彼らを見遣り、行くぞ、と一声掛けて立ち去る。しどろもどろに声を発しながらついてくる女子生徒。その俺を、きっとどこかから見ているんだろう、きっといつか今日も声を掛けてくるんだろう、あの屋上の上からきっと、足をぶら下げて、ブランコにでも乗るように、俺を見ているんだろう、そして空を、この校舎を包む、紫の空を、あいつは、きっと、甲高い声は上げなかったろう、またここを記録したがっているな いつかは晴れる光なのに、と、低い声で、砂の重なりだけが醸せる崩れる風の厚さ、それを響かせて、奴は告げるだろう。制服の裾を、少し握りながら。誰にもあの薄い金色は捉えられない、でも、やがて夜が来る。小説は終わる。俺は、それまで、お前といたい。こんな目は、嫌いかい?愛はどれだけ残るだろう、足して、二で割って、お前と俺はどこまでいけるんだろう、今夜はどこで会うんだろう、校門か、屋上か、寮の廊下か、枕の下か、俺は、砂が好きだ。さらさらと崩れゆく、あの砂が好きだ。お前は、何が好きなんだ?呟いてみる、腕章を付けた女が、何?と声を出す。そんな夢を見た。枕の下に砂が一握り。人間学園の男子校、制服の裾に皺が一つ。あの女がもしお前ならば。今を残したがる、今が砂であればと望む、お前はブランコに乗るように。木々は生い茂り、今日も腕章を巻く。きっと今日もどこかで会うだろう。そのとき甲高い声が聞こえたら、俺は。

スーパーリラクゼーション・トゥ・フジ×ファブリック

人間学園の校舎裏、木々が直進することを阻む程度には繁っているここは、緑葉に陽が寸断され、いつも間接照明のような仄暗さで、涼しい風が時折吹いた。枯葉が舞い、いつか僕らも枯れていくんだ、なんて、声には出さないけれど人がよく思う陳腐な感傷を、心で呟いた。僕たちには学生服があって、僕たちには校舎がある、でも、それはひと時の陽光で、いつか寸断されるときを待っている、僕の闇は、彼まで届くのかな。
木陰に金髪の少年が座っていた。千人の手と百人の命を吸った上質に過ぎる砂に洗われたような薄い金の絹は、緩い曲線を描き肩口まで伸びている、少し伸ばしたのだろうか、彼は明日には短髪になっているか知れない、見蕩れているとその薄絹が織り成す万華鏡が陽の下で僕を惑わし、妖しさに倒れてしまいそうになる、すると、きっと彼は声も掛けないだろう、でも、僕が目を覚ましたとき、僕の肩を刺繍が入った白いハンケチーフが温めていて、それが誰のものだか、すぐに分かるのだろう。彼はそのようにいるし、彼はいまも小説を読んでいる。
声を掛けたい、髪に触りたい、なんならこの手で白い肌に触れて、今まで言えなかったような酷い言葉や愛の澱を曝け出してみたい、そう、今すぐにでも!とは思うけれど、僕は彼がするような唇は出来ない。微笑んでいるのか、冷酷な思いつきに濡れているのか、それとも小説の中に、今日も世界には美しさがあった、と歓喜を見ているのか、あんな唇は僕にはできない。彼の唇を模写することもあった。彼の髪を描き出そうとしたこともあった。彼が地に垂らし撓む学生服の皺は、なぜだか描く気になれなかった。僕がこのような情念にかられていると、いったい誰が知ろうか、もしかしたら学園の基礎知識なのか知れないし、僕一人の胸に永遠にしまわれる秘密なのか知れない。誰か夜に僕の部屋に入り、濡れた唇でそれを奪い去らない限り、永遠にしまわれる僕だけの秘密なのか知れない。
彼から十数歩はあろうか、ここにいる僕を認め、彼は一瞥した。そして、口の端と、僕の見間違いでなければうなじの髪を数本煌かせ、こちらに来いよ、と合図を送った、いつも通りの、彼の仕草だ。
僕がいま持っているノートの中身を見せてあげようか。君に対する愛と憎悪に溢れた、固まりに固まった蛹が見せる脆さと自然の情念を湛えた、小さな字の夜の詩さ。光が濃くなると、闇も濃くなるって、必ず一回は聞いたことがあるフレーズ、あれをよく思うんだ、光が何気なく動き、光が何気なく佇み、光が当たり前に光として眩く眩く輝いていると、僕はたまらなく書き散らしたくなるんだ、闇としてしか存在できない、木陰にすらなれない、違いをただ書き散らしたくなるんだ。
どうしたんだい?と、眼前に彼の顔が現れる。白い肌は百の春風が羽毛を彫刻した残り香さえ置き去るように、青い目はどこまでも深く、唇は妖しく、髪は惑わせる。失語したまま美しさに呑まれ、またも僕は尻餅をついた、これも、彼への、毎回の挨拶のようなものだ。
なんでもないよ、君の姿が見えたから、声を掛けようとしただけさ、今日も君は小説と木陰が似合うね、僕は彼への称賛を隠さない、それは称賛しているときだけ、彼との間に架け橋が出来るような、そんな気分になるからだ。称賛を幾つか並べる僕は、僕が知る中で最も至福に満ちた僕だ。
そう、と一言呟いて、彼はまた木陰に座り、小説に目を遣る。僕はその目にもう映っていない。風が出てきたね、僕はそう呟く、枯れた葉が舞うだけさ、彼は答える、枯れた葉に興味はない?、僕は尋ねる、陽の光があるだろう 小説もある 君もいる 十分さ、彼は答える、もう一言、学生服を着こなしている人といない人がいる 僕らは学生服を着なくてはいけないのに そして僕らは学生服を着られるのに 枯れた葉の事は 彼らに任せるさ、僕はあまり学生服の着方に気を遣ってはいない、彼はオートクチュールの美しさをもって、そこにある。靴の先から伸びる細い脚は、黒い稜線のように僕を阻んだ気がした。ここからは、出れないんだと。
僕は彼の肩を掴み、ノートを投げ遣り、木の根に告白するように言った、僕は、彼はするりと抜け出し彼にも体重があるんだと、手に残った感触に全ての嫉妬を投げかける、彼を知るために、僕はこれ以上どうすればいい?
彼は右手一指し指の先で僕の唇に触れ、今日も君の唇は綺麗だね、と言った。
はっとして、目の前を見ると、彼は木々の中に揺れていた。こちらを見て、一言、今日の君は とても光っていたね ご覧よ 校舎が 君の光で白んでいるよ、と、手折れそうな腕を掲げた。
呆ける仕草で上を見遣ると、彼の姿は無くなっていた。
葉の上に、彼が読んでいた小説があった。題名をリリスといった。
人は誰もいない部屋の中では寝られない。そこではリリスに押さえつけられる。どこかで聞いた文言を諳んじる。そう、彼に押さえつけてもらえなければ、僕は眠ることもできやしない。
僕は君の何になれる?そう呟いて、本を手に取る。君が見た光は、きっと月が反射した太陽さ。
リリスを読む。美しい、彼の髪のように、と、また僕はペンを走らせる。
学生服は、僕らを包む。

あたまのなかのおとたち

 クレバスが開き中から温度の高い粘度の高い白濁した液体が流れてきて、それを結いで編んで出来たのがこのコートですので南米に赴いた僕はそれを真っ先に着てなりふり構わず黒人の、そう黄色のアーミーベレー帽に黄色と緑のアロハシャツ、タモリのようなサングラスに、タモリのような笑顔、黒柳徹子でもない、岡田眞澄でもない、デラックス某でもない、何デラックスだったか、ザーとかノイズは聞こえない、ただ映像がここにあり、海岸で、タモリで、その手は挙げられていて、彼の手は誰の手に似ているんだろう、黒柳徹子でもない、ジミー大西でもない、本田多聞でもない、誰だ、誰だ、それだけが気になって、僕はコートを、女の女性の女性内から出てきた女性液を編んでできた水の羽衣を、炎に強くジゴロに弱い、そんなコートを脱ぎ捨ててさ、そのブラジル人も目に痛いアロハ、でもあのアロハは前にSHIPSで5万くらいで売っていた気がする、だからあそこは信用ならねーんだよ、セレクトショップで最も、セレクトショップと言っても通が利用する通のための「俺、ちょっとファッション語れちゃいます」みたいな、テキーラショット二杯もいけばベラベラと最近南米辺りのデザイナーがいいとか結局はカウンターのカウンターで平行線に見えて交叉しているのさとか黒を生地でグラデ出来ると思ってるのはそろそろ音楽趣味が偏った人たちの神話でいいよね、とか、そんな話はウンザリなんだ、このなんか380円で出てきた豆腐の厚揚げが汁気たっぷりで、母乳って聞いたら和むより性的興奮を覚える類の熟女好き、それも黒人の筋肉のように千年の流水に洗われた滑らかを持った生粋の熟女好きだ、らが語る「50代の夏はヤバいっすよ、50代の夏はですね、こう、寝返りうつじゃないスか、したらですね、こう、背脂がシーツにプリントされてんスよ、マジっすよ、聖☆おにいさんブッダが見たら垂涎モノのプリント加減っスよ、それに韓国海苔乗っけて、十分に吸い込ませてから、納豆巻き食べるんスよ、したらさっきまでの大熱戦が思い返されるんスよ、やっぱ香りは思い出運ぶじゃないスか、50代とのラブアフェアーは背脂と韓国海苔と納豆なんスよ、サマーなんスよ、俺いますげースチャダラパーじゃないスか?シンコっスか?俺シンコっスか?」って語る奴が前歯を虫にやられ、茶色く変色した患部から歯垢とも体液とも違う虫の臭いがする、そんな気分だ、通がファッション語るのはそんな気分なんだってベラベラとショット二杯程度でガタガタ騒ぎやがって、そんな脂っこい話をガタガタと、SHIPSってのはそういうガタガタ、新築の家にお邪魔したとき四本足の机が妙に揺れる、ガタガタする、その居心地の悪さを体現する、虫で現す、そいつらがSHIPSに集まるんだよ、で、見た、5万円のシャツにそれは酷似しており、SHIPSへの不信感と、日本では見られない波と海岸の砂とシャツの色が織り成すキュビズム的感動、に頭を揺らされ、波の中に倒れると、そこではジャズが鳴っていた。ヘイ、ヘイ、ヘイ、としか聞き取れない、俺はヒアリングが苦手なのだ、ヘイ、しか言っていない、あとは身内の不幸とか苦学生のこととか、まあそういうことを歌っているんだろう、ブルースなんだ、ジャズとは違う、ジャズは演歌だって言ってたけれどあれは本当なのか?外国人留学生のサム、偶然にも江古田ちゃんと付き合っていた、本人はパコったと表現していたが、付き合っていたアメリカ人男性と同一人物で、違うアメリカ人ではなく、アメリカ人の多様な国民性を理解するチャンスをまたも逸した上に、なんでお前はその髪型で女をつかまえてんだよ俺はこんなにも、今は海の中だけど、いつか男の花道に、酒や、酒持ってこい!、惚れた男の惚れた男の、でっかいいいいいいいいいい、ゆううううううううううううううめ、が、あああああああああああああるうううううううううううううううう、ここで言われる夢とは、なんかウンコソンガーが簡単に繰り出す夢だのウンコだのああいうのではなく、もっと情念とヒロポンに満ちた素晴らしいものなのだ、日本の歴史はヒロポンの歴史であり、歴史を顧みない批評家に明日はなくアスホールからクリティック、明日の方がクリニック、近くて便利なクリニック、肛門科!ヘイ!肛門科!とリリックの一つも飛ばしたくなる程度に奴らは、奴らは分かっていない、もう少し高尚に言えば、理解していないのだ。と、とりあえず浅瀬であったのでジャズとか関係なくザバっとあがりブラジル人のケツ爪先でボコーン蹴ってなんか昔の日本映画であったような水中逆さ刺さりを演じてくれたのでゲラゲラ笑って肛門科の名刺をキャッツアイ風に投げてあげた。覚えておきな、ケツが鳴るぜ。肛門とアメリカ人について久しく考えていない僕は飛行機を見上げた、どうも叙情的なことを考えようとすると一人称が僕になる、三人称は彼になる、でも三人称なんて二人称同士の戯言なので、僕らは貴方がそこにいればいい。僕らを僕に、貴方がたを貴方に、ふたり手に手をとって、花を摘み、草原でしよう。飛行機は嬌声を捻じ曲げ、音響学の権威はそれをゾウが朝青龍に全力で呼び出しくらった時の怯え声、と解釈した。表計算が発達したコンピュータでも、女の子の、ニュアンスは、割り出せない!と叫んだスターがいた。彼女らはスターであり、誰にでも分かる和訳だ、星だったんだ。いっそ夢ならば、と呟いた人がいた。いっそ夢ならば。僕だって夢の中にいられるならそれで良かった、布団の温もりは一定の優しさをくれたし、あの思い出はいつも鮮明にリプレイされて、僕の胸を甘美に抉った。抉られた肉片はどこに行くのだろう。心はどこにいくのだろう。心オナニー例えよう。心と掛けましてオナニーと解きます。見られたら恥ずかしいけれど見て欲しい瞬間も訪れるでしょう。好楽のドヤ顔と共に、NYのヘンな交差点を抜け、マンハッタンを抜け、アメリカンを注文し、これ水割りやないけ!と関西弁で抗議するものの、頭の上にハンバーグを乗せた、そう、亀田兄だ!、ボクシングを諦め異国の地でコーヒー売りとなった彼はネイティブのようなイングリッシュで僕を痛罵、おそらく痛罵だろう、ところどころにファッキンが聞こえる、して、関西人を舐めた。お前は関西人を舐めた、と色んな武器で砂にしてやり、ファッキンジャップくらい分かるよバカヤロー、と決めセリフを吐いてやったが、彼はジャップとは一言も言っていなかったので、それでも僕は言っていない、と痴漢冤罪でも証明するように叫べばいい。ここはとても遠く白く、水平線の彼方にまで砂があり、墓があり、鳥が舞い、丘陵から下りる階段の一つ一つにひび割れがあり、長く二人を苦しめた村の視線は既になく、喜ばれなかった愛の残り香だけを伝える藁葺きの家が、ちょうど円形になった廃村の中心に位置しており、その半径はおよそ500メートルほどであろうか、犬が鳴いている、酷く痩せ細った犬で、鳴き声を発するたび腹の皮膚から血が少し垂れる、皮膚病の痩せた犬はこちらに来るでもなく、隠れるでもなく、15メートルほどの距離を保って、断続的に鳴いている、そして座る、風向きが変わると犬の臭いがこちらに流れ、それは歴史や感傷や生きる目的自体を吹っ飛ばすような、火口の硫黄がその意思で結したある黄色い宝石のような凄まじい悪臭を嗅がせ、それはマスケット銃の狙いを定めさせるに十分な理由となり得た。ブラジルからここまでの距離はどの程度だろうか、銃声は届くまい、この辺りには海がない。

ボーナストラック

 空から女の子が落ちてきたのでセックスをした。言葉は世界に満ち溢れ、曇天晴天雨天に荒天、空が僕らを覆い、その中で僕らは生きている。通学でもいい、探検でもいい、新しい何かを作ってる最中でもいい、何かに拘泥している時でもいい、あるいは空に絡めとられ、或いは空に守られ、或いは空の下がイヤになり、空に還る土になってもいい、僕らの土とは、人々がそれだけ空を出なかった証でもある、僕らの体はどうやら空の向こうに行くには不向きなもので、空の向こうに行ったらば、なぜか知らないけど星になるらしい、そうならないためには、幾つかの方法があるらしいけれど、空の向こうの世界には、また僕らを覆う世界があって、そこを通るためには、また僕らは何かを作らなきゃいけない、何度も生まれ変わって、手にするものってなんだろうね、でも、空の向こうには星があって、どこかにはきっと美少女なんかもいてさ、こうして僕らはセックスをする。空を決して出れなくても、僕らは空の下で歩く。あの空だけが空じゃない。屋根を見ても空って言えば、雲を見ては空って言うし、上を見上げりゃなんでも空だ、ただ僕らを包む空が、僕らによって増えていく。どんどん美少女が落ちてくればいいね。僕は空に寄り添って、凭れ掛かって、空から来た女の子とセックスをする。ねえ、向こう側は、気持ちいい?こういえば通じるかな、僕はセックスでしか、彼女と会話できないんだ。空から女の子が落ちてきた。僕は毎日空の下にいる。女の子は、気持ちよさそうにしていた。空の向こうから来たんだから、もう空の下の女の子。僕らの言葉の女の子。ただのすけべな女の子。女の子って呼んでよかったのかな。空の向こうでは、何を見て、何て呼ばれていたんだろう。空の向こうには、出したい言葉や出したい精液が、浮かんでいるのかな。この空は僕らを守ってもいるし、包んでもいるし、塞いでもいるし、そう僕らが決めたところにもあったりなかったり。と思ったら空が消えた。女の子も消えた。僕も消えた。じゃあこれを物語るのは誰?新しい僕だ!さあ、なんていえばいいんだろうね。新しい世界で、同じセックスじゃあ物足りないけれど、それしか僕は知らないんだ、と、真白い世界を見渡して、僕は一人思うんだ。これを哀れって言うなら、立石って人を呼んできてよ。真白い世界で、誰もいないけれど、僕は最高にクールさ。ねえ、セックスしてよ。おニューなやつをさ。空から女の子が、落ちてくれば、その先は、ただの繰言。真白い壁に、凭れ掛かると、また新しい音が鳴るんだ。それは世界の音じゃなく、僕の中から、ブラジル人の、アロハに乗って。ヘイ。

頭の中の音2

 物見遊山から始まったこの旅も終焉を迎え眼前に広がるは新緑の平行でありそれが段々に上がって下りて森となる男の声は深く深く深く皺が年輪と称されるように悪魔が黒い羽根を持つように黒人が珍妙なドラムを叩くように音が響くように当然の如く私の胸に響いたのだがそれも森は受け止めその色の深さを増した気がしたが連れ立っていた者はだれもおらず仲間もいまは何処なりや私の旅はこの鬱蒼としたしかし整然とした新しい森に留めを打ちそうだが、昔の仲間は何処なりや、三万円を貸した彼はそのまま目の前の風俗店に消えた、朝まで待っても戻らぬので早朝割引券を貰って帰った、海が見える、彼の事だ、アロハシャツの彼のことだ、彼は繊細な文章を書いたが繊細は美文と微分を呼び微々たる理解も許さぬViVi愛読者専用浮動小数点暗号文と成り果ててしまった、そんな彼からいつか文が届いた、美しい情景を描きながら書いたと思われるその文はただのマーボー豆腐の垂れ落ちたシミでありほんのりと香辛料と、彼の生活圏であると思われるドブの臭いと、豆腐の香りがした、いろんな仲間がいた、いろんな世界があった、船を作って帆を立てる、海岸線は遠く離れた、鳥が飛び、あれはカモメだと思った、白い腹に青い毛を生やし、こちらを気にするのか気にせぬのか分からぬ風情で飛んでいる、浮かんでいるようだ、青い服を着た、それはレザージャケットであるのだが、警官帽と大きいサングラス、ビガーパンツの完全な彼はこちらに向かってヘイと、注文を受けたように語り掛けた、その迫力は私にマーボー豆腐を思い出させるに十分であり、浜辺の白い砂浜と、緑の木、青い空、指先から見える風景は壁しかなく、カーテンがはためき風を伝える、今は昼であると不躾に舞い込んだ陽光が伝える、埃が舞って、部屋の外、二階の廊下では学生ではない男女がその気分を伝え合っている、オレンジ色の陽光がピアノに差し掛かり、誰かがアナーキーインザユーケーを弾いた、本当はもっと、その先は伝えない、白い紙吹雪が、爪先にふわっと広がり!全て祝福されているような気分になって、私は涙を、ふわっとした紙の一枚一枚はあの男が随分まともだった時に破り捨てた手紙のような答案用紙であり、答案用紙という響きを酷く嫌うビガーパンツの男はまたしてもマーボーの香りがする表情をこちらに向け、カモメが!美しい!と伝えるのだ、カモメが美しい、山が見える、段々になった山が見える、そこには長い石段があり、それは山を撫でるように麓へと伸びていく、誰かが見える、芸者と書いて浮かぶイメージそのままの女だ、美しいようにここからは見える、精緻な石段は年月が風雨をそれに遣りやがて朽ちひび割れてそのひびには小虫が棲み、足の多い、名前は分からない、胴が長く、胴が多段式に動く、足の多い赤黒い虫だ、が、蟻などを捕食して、食べ残しをただそこに置く、手紙には染みだけがあったが、彼はどこで何を置いただろう、山間にある墓と家と、枯れた木しかない廃村には、痩せた犬がおり、犬の腹からは赤黒い血が虫がひびから這い出るように流れ続ける、その血を綺麗と思ってしまったら、部屋には風が吹くしかないんだ。陽光は、本当は嫌いじゃなかった。

1231*わたりろうか

 近代自我とは何か。自我というものをふと見つけてしまったわれわれが、これをどう扱おうかと色々と試行錯誤した結果、どうやら不定形で根拠ないもの、存在証明の不可能なものとしてしまおう、というのが分かりやすい解の一つになったかと思われます。我々にはネットでの生活があり、ネット以外での生活があります。日記に執着しなくとも、我々の周囲には明るく我々を照らすテレビや街灯が無数にあります。それらを必要としている、と感じる瞬間がいくつあるでしょうか。それらの中にも息をのむ感動はあります。しかし、日記的なもの、と申し上げて差し支えなければ、日記的なもの、その感動は日記でしか味わえず、周囲との隔絶を覚えるとすれば、その日記的なものに感動を覚える私を発見したとき、それ以後の我々がそうなるかと思われます。私は感動したい。都合により手に入れる欲求より、都合により手に入らなかった抑圧より、理解し合えない孤独より、私は理解したい。そして私は理解されたい。必要なものを集めて並べてみるより、今必要でないものに、はっと息をのんでみたい。私は日記で、自らの内の無理解と、自らの理解されたいところと、様々な理解を、世界を、孤独を超克して知ってみたい。私はわたしを含むわたりろうかになりたい。私は美しい人になりたい。わたりろうか、復活します。美しいお年を。美しい貴方を。美しくわたりたい。ありがとう。