日記

紫煙が宙に浮かび、この煙草は少しうまいんじゃないかと思う。それは喉に負担が掛からない、痛みが走らないからうまい、という上等な料理にハチミツをぶちまける思想の遥か先を越えたうまいであるのだが、この煙草はうまいんじゃないかと思い、二本を連鎖して吸い、明日からは煙草を手に取るまい、と思った。矛盾はそこかしこにあり、それもこれもこれもそれもその一つに過ぎないのかも知れないが、私は今日何時に起きただろう。朝と呼んで差し支えない時間であったように思う。布団は私を常にあたたかくして、今日は父に頼まれ事をされた。父の前で打鍵するのは久しぶりであり、その打鍵スピードが父の役に立ったこと、そのスピードを称賛されたことが、久しく味わっていない嬉しさを私に与え、私は何度も、私の打鍵は速かっただろう、私の打鍵は役に立っただろう、と彼の前で繰り返した。何通かのメールがあり、それに返信は出来ていない。非常に近しい友人が、ミスタードーナツ前から電話を掛けてきた。それは私を気遣うものであったが、私はそれよりも、君はそれ以上ミスタードーナツに通うな、脂肪はひとたび付けば落ちにくいものだ、と苦言で返した。苦笑の表出とも取れるメールがその後来た。このような関係は、概ね円満なものであると考える。例えば今日、寝間着から着替えていたら。この部屋に誰かが訪ねてきたら。空から少女が降ってくる話を今更持ち出す訳ではないが、ここに少女がいたらその外見は、白いワンピースのような、あるアニメで主人公たちが着ていたプラグスーツのような、その裾がスカートであるような、'60のファッションにあるようなタイトなワンピース、白い、薄く光沢を放つワンピース、それを着た少女がここに現れる、それを夢想する。待ち人。待ち人。待ち人。待ち人はここに現れるのだろうか、待ち人は誰なのだろうか、今日電話をくれた友人は待ち人なのだろうか、私を見てくれる人々は待ち人なのだろうか、見たことがない、しかし街を確かに闊歩する美しい女性が待ち人なのだろうか、紫煙はそれを教えてくれず、恐らくこの煙で先週は床に臥していたのかと思うと、あながち箱に書かれた脅迫文も嘘や大袈裟や紛らわしいものではないと推測し恐らくそれは当たっているのだろう。部屋の窓から見える向かいの家の老人は私を町役場の役人に不審者として、私は一歩も外に出ていないにも関わらず、不審者として通報する非常に先鋭的な批判精神を持った古強者であるのだが、彼は今日いなかった。厳密に言えば、窓を開けていた短い間、彼はいつものちゃんちゃんこ若しくはジャージ姿で彼の家の周囲を、あるいは庭と呼ぶにはあまりに通路的な庭を、うろうろと歩いてはいなかった。この町にはいつも煙が立っており、それは老女が畑仕事の際取れたゴミを私設の焼却場で全て灰にしようとするからだ。それは周囲500メートルを濃霧の中に叩き込み、彼女はその煙を最も多く吸っている人物であると思われる。あいにく私は目がよくなく、窓外を眺めても彼女の格好を確認することは出来ないのだが、何かハイテクノロジーなスーツでも着こんでいるのだろうか。米軍がそういったスーツの開発に着手した、と、かつて好きだったサイトで読んだ。あいつら夢に邁進しすぎ、とあったが、彼女も夢に邁進しているのだろうか。その夢は煙に乗り、町を覆い、近隣の中学校及び高校及び住宅街の人々に多大なダメージを与える。この町はそういったことを受容する町であり、大きな坂の先にはT字路があり、右折するのか左折するのかだけを選択させる。この辺りには美容院が多く、その密度は繁華街のカラオケ店の数を遥かに凌駕する。そして聞くところによると、近隣の高校を卒業した男女の多くが美容師育成専門学校に進学するという。少し離れたところに、全国的にもレベルの高い進学校がある。その周囲は国道と警察と、あと寂れた住宅街、子どもとその母親が憩うだけには大きすぎる建物となった旧ダイエー跡地などがあり、煙は立たない。町を上方から眺めるに、左下、私たちが住む場所にだけ、なにやら白い影が映り、医療の現場でも不穏とされるであろう様子が手に取るようにわかる。それをレントゲンとして、何が透視されるだろう。この辺りの中高生は大型スーパーの地下一階にある軽食スペースで時間を過ごす。そのほとんどがここに集結しているのではと錯覚させるような、激しい混雑が見られることも決して珍しくなく、彼や彼女はクレープやマクドナルドが販売する何らかの品を頬張り、あてどもなく、或いはあてに向かって、話をし続ける。話が煙になれば、大型スーパーは白煙に呑まれ、上階で日用品や食料品を購入している主婦や、あるいは何の目的で居るのか分からない多くの人々をその中に巻き込み、大型スーパーは焼却炉となる。坂道は非常に急で、小さな都市伝説として坂の上から自転車で下りてきた少年がスピードに乗りすぎて坂の末端にある駅に衝突、ホームとホームの間を飛び越えて、風になったという話がある。傾斜角は表示されている数値で15度だったろうか。住民の平均年齢が高いそこでは、軽いマフラーの音を弾かせて、少年少女が深夜のコンビニに集まるように、老人たちがパンを求めて走る。評判のうまいパン屋があり、そこは老若男女、あらゆる人々が3坪ほどもないだろうスペースに押し寄せる。満員電車さながらのそこは、夢想するには最適だが近寄るには恐怖の対象となる女子高生などに占拠される場合もあり、私は入店する時間を見計らうか、意を決して虎穴に飛び込む。そして上等なサンドウィッチやきなこパンを手にするのだ。きなこパンは袋から出すや否や粉を撒き散らし、食べ終わるころには私の手は黄土色に染まり、口髭は染色をしたような有様となっている。ここで私のブラジルに対する簡単なイメージを申し上げたい。常夏で、海岸があり、その砂浜では常にいつ何時でもビーチサッカーが行われ、街は布の屋根がついた露店で溢れかえっており、その雑多な中を少年が手袋を丸めたボールを蹴り転がし、通行人を100人抜きする、人々はアロハシャツを常備しており、陽光の中で笑う黒い男はサングラスを掛けている、貧民街には汚水が溢れ、人々は感染症で隣人を失う毎日に慣れている、発砲音がキックオフの合図であり、全ての国民は贔屓のサッカーチームを持っており、ジーコやペレやロマーリオは愛憎を、抱えきれない程の人々の切実な愛憎を質量化出来ないほどに抱えている。陽光の中でサッカーと貧困とチャリティーの裕福とスターがおり、砂浜は白く輝く。私の町に戻ろう。私の町にスターはいない。おそらく必要とされていないか、スターの存在を忘れているか、私が知らないスターがどこかにいるのか、そのいずれかだろう。私の知らないスターはスター足りえていない。しかし恐らく、無数のスターが軽いマフラーの音でどこかを走ったり、趣味のいい古着店で趣味のいい音楽を掛けたり、開闢会まであと一歩に迫ったり、某かの活動を行って、人々の喝采を集めているのだ。おそらく充満するほどにこの町はスターを求めており、そしてスターは毎年あるいは毎月あるいは毎週、毎日、毎秒、どこかで作られる。絶滅などしてはいない。スターは飽和しており、そこにおいてスターは現れない。煙が充満し、それは概ね昼から夕方に起こり、夕暮れが町を異なった色に染めるや、煙は入れ替わるように掻き消える。スターは煙と夜が作り、コンビニエンスストアの前には車高の低い車が並ぶ。人々は繁華街に出向き、あるいは憩える公園に出向き、あるいは電脳街に赴き、この町の服を脱ぐ。煙がその尾となっているのか、夜がその襟巻きとなっているのか、私は知らない。ここには布団があり、それは私をあたたかく迎える。布団に潜れば夢を見る。私は近頃夢を覚えていられない。煙を吸いすぎたか、と、遠くの老女になんとなく舌打ちをしてみる。夢に邁進しすぎ、とあったが、煙は遥か遠くブラジルの地でどのような成分となるのだろう。この辺りでサッカーをしている人間はいない。バッティングセンターが少し離れた場所にあり、そこで野球少年や野球中年がスイングをしている。それぞれの夢があり、それぞれに夢があった。そこに煙はどのように作用したのだろう。夜はどのように作用したのだろう。窓外は今、頼りなく街灯が照るのみの闇であり、ここに大きな大きな布団を敷けば寝やすいだろう。人々は夢を見る。晴れた日が訪れる。緑は繁ると適切な長さに伐採され、青い香りが飛び散る。青い空が覆う。老人は役場に行く。私はここで、ここで、ここで、何を。息を吐く。作られた、煙の臭いがする。これはただの気分だ。