リーサルネバーエンディングストーリー

今日ラーメンを食べるとき、ニラとニンニクを大量にブチ込んだ結果、帰りの車中は口臭で板金できるんじゃないかって風情でした。
 
 まあ元からですけどね!


モテ・非モテがこの世で一番面白くないと思われるサイトで話題になっていたみたいなので僕も何か書こうか知らん。

 まあここが一位タイですけどね!


モテ・非モテといったことを論じるときに、あまりにも非科学的視点が無視されてはいないだろうか。モテ・非モテは実のところ沈黙すべき議題なのである。モテ・非モテを論じる際、こうすればモテる!という結論はマーケティングでしかない場合が多く見受けられる。この層にこうアプローチすればこうなる、服装は誰といても違和感のないオシャレを、話し方は恋人のように、ブタ、ブタ、抗生物質漬けのブタ、といった、大多数に不快感を与えずコミュニケーションを多くとることで性的関係を築く可能性を広げる、という、至極馬鹿にした内容ではないかと私などは噴飯しつつ赤痢を訴え宇宙空間で回転する心持ちであるのだが、それはモテではなく個人の社会学、ぼくのかんがえた社会、でどうすれば吉良吉影になれるのかをドグマとして発表しているだけである。故に非モテは多数のモテ学を読み、平均値の平均値、重心をさがそうとするのである(或いは雑誌の末尾に載せられた札束に埋もれる男性を目指し!)(シータというミュトスを!)。では何故モテそうにない人間がモテるのか。性格がいい、という言葉に私は集約してもよいとすら思うのだが、この性格について、誰がこうであるべきだと言えるだろう。人のために尽力する、自分を強くする方法について論理的に打ち出すことは不可能ではないだろうか。それはオーラが出るまでがんばる、というに等しい。ならばその方法は、と問うたならば、それまで頑張る、という結論にしか達しない。人がいいだけでモテるなら善意の受け渡しにフィルターはかからないのである。多くの人間とコミュニケートすることは可能だが、それをモテと呼ぶなら、掃除の方法を同時に考えておくべきであろう。要るべきものだけが必要であり、ここにあるものだけが使えるのであるのだから。*1

*1:オチはないんですけどね!