あたまのなかのおとたち

 クレバスが開き中から温度の高い粘度の高い白濁した液体が流れてきて、それを結いで編んで出来たのがこのコートですので南米に赴いた僕はそれを真っ先に着てなりふり構わず黒人の、そう黄色のアーミーベレー帽に黄色と緑のアロハシャツ、タモリのようなサングラスに、タモリのような笑顔、黒柳徹子でもない、岡田眞澄でもない、デラックス某でもない、何デラックスだったか、ザーとかノイズは聞こえない、ただ映像がここにあり、海岸で、タモリで、その手は挙げられていて、彼の手は誰の手に似ているんだろう、黒柳徹子でもない、ジミー大西でもない、本田多聞でもない、誰だ、誰だ、それだけが気になって、僕はコートを、女の女性の女性内から出てきた女性液を編んでできた水の羽衣を、炎に強くジゴロに弱い、そんなコートを脱ぎ捨ててさ、そのブラジル人も目に痛いアロハ、でもあのアロハは前にSHIPSで5万くらいで売っていた気がする、だからあそこは信用ならねーんだよ、セレクトショップで最も、セレクトショップと言っても通が利用する通のための「俺、ちょっとファッション語れちゃいます」みたいな、テキーラショット二杯もいけばベラベラと最近南米辺りのデザイナーがいいとか結局はカウンターのカウンターで平行線に見えて交叉しているのさとか黒を生地でグラデ出来ると思ってるのはそろそろ音楽趣味が偏った人たちの神話でいいよね、とか、そんな話はウンザリなんだ、このなんか380円で出てきた豆腐の厚揚げが汁気たっぷりで、母乳って聞いたら和むより性的興奮を覚える類の熟女好き、それも黒人の筋肉のように千年の流水に洗われた滑らかを持った生粋の熟女好きだ、らが語る「50代の夏はヤバいっすよ、50代の夏はですね、こう、寝返りうつじゃないスか、したらですね、こう、背脂がシーツにプリントされてんスよ、マジっすよ、聖☆おにいさんブッダが見たら垂涎モノのプリント加減っスよ、それに韓国海苔乗っけて、十分に吸い込ませてから、納豆巻き食べるんスよ、したらさっきまでの大熱戦が思い返されるんスよ、やっぱ香りは思い出運ぶじゃないスか、50代とのラブアフェアーは背脂と韓国海苔と納豆なんスよ、サマーなんスよ、俺いますげースチャダラパーじゃないスか?シンコっスか?俺シンコっスか?」って語る奴が前歯を虫にやられ、茶色く変色した患部から歯垢とも体液とも違う虫の臭いがする、そんな気分だ、通がファッション語るのはそんな気分なんだってベラベラとショット二杯程度でガタガタ騒ぎやがって、そんな脂っこい話をガタガタと、SHIPSってのはそういうガタガタ、新築の家にお邪魔したとき四本足の机が妙に揺れる、ガタガタする、その居心地の悪さを体現する、虫で現す、そいつらがSHIPSに集まるんだよ、で、見た、5万円のシャツにそれは酷似しており、SHIPSへの不信感と、日本では見られない波と海岸の砂とシャツの色が織り成すキュビズム的感動、に頭を揺らされ、波の中に倒れると、そこではジャズが鳴っていた。ヘイ、ヘイ、ヘイ、としか聞き取れない、俺はヒアリングが苦手なのだ、ヘイ、しか言っていない、あとは身内の不幸とか苦学生のこととか、まあそういうことを歌っているんだろう、ブルースなんだ、ジャズとは違う、ジャズは演歌だって言ってたけれどあれは本当なのか?外国人留学生のサム、偶然にも江古田ちゃんと付き合っていた、本人はパコったと表現していたが、付き合っていたアメリカ人男性と同一人物で、違うアメリカ人ではなく、アメリカ人の多様な国民性を理解するチャンスをまたも逸した上に、なんでお前はその髪型で女をつかまえてんだよ俺はこんなにも、今は海の中だけど、いつか男の花道に、酒や、酒持ってこい!、惚れた男の惚れた男の、でっかいいいいいいいいいい、ゆううううううううううううううめ、が、あああああああああああああるうううううううううううううううう、ここで言われる夢とは、なんかウンコソンガーが簡単に繰り出す夢だのウンコだのああいうのではなく、もっと情念とヒロポンに満ちた素晴らしいものなのだ、日本の歴史はヒロポンの歴史であり、歴史を顧みない批評家に明日はなくアスホールからクリティック、明日の方がクリニック、近くて便利なクリニック、肛門科!ヘイ!肛門科!とリリックの一つも飛ばしたくなる程度に奴らは、奴らは分かっていない、もう少し高尚に言えば、理解していないのだ。と、とりあえず浅瀬であったのでジャズとか関係なくザバっとあがりブラジル人のケツ爪先でボコーン蹴ってなんか昔の日本映画であったような水中逆さ刺さりを演じてくれたのでゲラゲラ笑って肛門科の名刺をキャッツアイ風に投げてあげた。覚えておきな、ケツが鳴るぜ。肛門とアメリカ人について久しく考えていない僕は飛行機を見上げた、どうも叙情的なことを考えようとすると一人称が僕になる、三人称は彼になる、でも三人称なんて二人称同士の戯言なので、僕らは貴方がそこにいればいい。僕らを僕に、貴方がたを貴方に、ふたり手に手をとって、花を摘み、草原でしよう。飛行機は嬌声を捻じ曲げ、音響学の権威はそれをゾウが朝青龍に全力で呼び出しくらった時の怯え声、と解釈した。表計算が発達したコンピュータでも、女の子の、ニュアンスは、割り出せない!と叫んだスターがいた。彼女らはスターであり、誰にでも分かる和訳だ、星だったんだ。いっそ夢ならば、と呟いた人がいた。いっそ夢ならば。僕だって夢の中にいられるならそれで良かった、布団の温もりは一定の優しさをくれたし、あの思い出はいつも鮮明にリプレイされて、僕の胸を甘美に抉った。抉られた肉片はどこに行くのだろう。心はどこにいくのだろう。心オナニー例えよう。心と掛けましてオナニーと解きます。見られたら恥ずかしいけれど見て欲しい瞬間も訪れるでしょう。好楽のドヤ顔と共に、NYのヘンな交差点を抜け、マンハッタンを抜け、アメリカンを注文し、これ水割りやないけ!と関西弁で抗議するものの、頭の上にハンバーグを乗せた、そう、亀田兄だ!、ボクシングを諦め異国の地でコーヒー売りとなった彼はネイティブのようなイングリッシュで僕を痛罵、おそらく痛罵だろう、ところどころにファッキンが聞こえる、して、関西人を舐めた。お前は関西人を舐めた、と色んな武器で砂にしてやり、ファッキンジャップくらい分かるよバカヤロー、と決めセリフを吐いてやったが、彼はジャップとは一言も言っていなかったので、それでも僕は言っていない、と痴漢冤罪でも証明するように叫べばいい。ここはとても遠く白く、水平線の彼方にまで砂があり、墓があり、鳥が舞い、丘陵から下りる階段の一つ一つにひび割れがあり、長く二人を苦しめた村の視線は既になく、喜ばれなかった愛の残り香だけを伝える藁葺きの家が、ちょうど円形になった廃村の中心に位置しており、その半径はおよそ500メートルほどであろうか、犬が鳴いている、酷く痩せ細った犬で、鳴き声を発するたび腹の皮膚から血が少し垂れる、皮膚病の痩せた犬はこちらに来るでもなく、隠れるでもなく、15メートルほどの距離を保って、断続的に鳴いている、そして座る、風向きが変わると犬の臭いがこちらに流れ、それは歴史や感傷や生きる目的自体を吹っ飛ばすような、火口の硫黄がその意思で結したある黄色い宝石のような凄まじい悪臭を嗅がせ、それはマスケット銃の狙いを定めさせるに十分な理由となり得た。ブラジルからここまでの距離はどの程度だろうか、銃声は届くまい、この辺りには海がない。