gotyagotya2

情報が要素であると仮定するならば話は早いのだ。可視不可視を越えた情報が要素でありその集合である事実もまた情報であるとするならば、情報とは要素であり世界であるという、空間/時間を越えたものとしての存在を画定する。web2.0とは不可視に対する非選択的絶望であり可視領域への非選択的憧憬であり、それはデータベース化を望むわれわれの希望あふれる絶望としての可視領域への同一化願望であり、それは情報化を望む単体要素としての、牛が牛になろうとする滑稽な様子であり、最適性理論上の最急降下法である。それのみ取り入れた様子は動物化と表現されることも少なくないが、戦略的にweb2.0及び可視領域の最適化を計らねば、それは呆然と情報にあだ名を付けるが如きピーポ君現象であり、データベースからの可視領域範囲内の要素を取り入れたデータベースとして、自己が存在する世界という同階層に言及する愚を犯すことだろう。要素としての、情報としての、データベースとしての自分にどのような参加を行うか。可視領域の設定は、自らのデータベースから導出すべきであろう。情報に名前をつける行いが、世界からの強引な引き起こしであることは、既知に過ぎる。われわれは情報であるが、しかし、君の名を呼ぶ。身体的反応に全てを委ねてはならない。それはデータの出力であり、全てではないのだ。君に名前がついていることを、嬉しく思う。