アロハ・アロハ・アロハ

言葉は消える。思いも消える。かんたんなことにふくまれたマジックが、きょうもぼくたちをおどろかせる。かんたんなことばにしてしまえば、マジックをたのしむだけですむのにね。簡単な言葉。僕は、君が、好き。あそんでるつもりはないんだ。言ってくれれば、わかる話さ。遠くに響く思い出は、まるで頭痛のように。たのしかったね。簡単な言葉にしてしまえば、マジックを楽しむだけで済む話だ。オマンコ遊びに耽りてー。さあ笑い飛ばしてしまえ。笑って飛ばすものが、何だか知っても、そのまま笑え。さあ笑え。笑え。笑え。笑えオエー。

太ってなどいない

大学に復学する運びとなった訳で、これからはモーレツ四捨五入30歳学生としてフィッターかつハッピアーかつラッキーな、ナショナルアンセムっぽい、いわばやつらオメコの汁でメシくうとるんじゃないの!、といった風情なサマーヌード、サマーれげえレインボー、サマージャム'06が流れる、要はまあええ感じの学生生活をおくって小生の愚息もフンゴマラしていきたい所存なのだが、わたくしも既に24歳、5月23日には25歳を迎える、ここは誕生日の情報開示により散種の萌芽を促進させる云わばアッピールタイム(エンペラータイムの友達)である、事由から、学費、なる、亜空のshow-kick漂う事象に対しCEOとならざるを得なくなったようで、ついにわたくしも経済的ヒエラルキーの頂点たる肩書きをもつに至ったセレブリティか、と感慨極まりなく思うと共に、ホストになろうか真剣に考えるくらい払える気がしない。セレブってハニーってくらい学費バグってる。俺の友人はパグに似ている。最低年収100万を維持しつつ単位を取得していくなんざ、尻にワセリン唇に火の酒バックからならテレビがみれちゃう、といった、NANA改めANAL、天使なんかじゃない!改めファック一発二万円出して終りの男はいいわね(紫煙をくゆらせながら)なる、剣客商売ならぬ剣っぽく見えなくもない棒を尻にいれる商売、アナル無宿、サユリ1号南極2号、といった風情の終末の過ごし方的経済活動しか浮かばない上、学生証用に撮った写真が、まあ自分の写真うつりの良くなさは既知であったが、控えめに言って水をかけたらブサイクに変身する池にはまった人、としか言いようの無いブサイクさ加減であったので、なんというか、世慣れた嘘も吐けないときは色気のなかで我をわすれてた、ってな桑田の佳佑的文言を口ずさみつつ(そして左斜め前に立ってた顔はカケるレベルなのだがミニスカートから細かすぎて分からないガンキャノンの真似かって勢いで太い足をまろび出してる女を見つつ)エロの中で我とか金とか将来への不安とかをシーツにくるまって夜の闇をおよぐ密室に棲む熱帯魚それが私たちなんです、ってフレーバーでエロりたい。エロるエロればエロるとき。活用してみた。知的かなあ。女の体温で時を止めて、一人きりで叶える夢を溶かして欲しい。つまがすき。何が言いたいかと云うと、過食に拍車がかかり吉野屋のメニュー全品食おうが500グラムも太らないダイエット?ナニソレ体質だったのがそろそろ過齢か食いすぎかでお腹あたりに貯蓄ができはじめてますよ、という話。宵越しの金は持たねえ。俺の駄目さ加減が女を濡らすと言いきった君になりたい。リラックスの新コーナー名。大学の最寄り駅に着きました。ふてくされてばかりの十代をすぎ分別もついて歳をとり夢から夢へと醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく。晴れてきたな。見えるかつま。

はるの/よるの/ようだ

昔の光が胸に映る。ディスプレイはあれから幾つ替わっただろうか。何処へ向かうでもなく、しかし何処か確かに目指すところがある、守るものもある、少し、そう、少し変化した、打鍵する音は変わらない、その目的は、生産により多くを奪われることになったが、生産の視点から見れば、非生産に蹂躙されていた時間を奪還したとも云える、この二項対立は適切ではない、俺は生きている、その平熱が生むものは、打鍵の音と同じく、何も変わらない。流れている位置が、少し変わっただけ。俺には守るものが出来た。打鍵の音は、彼らをどこまで運んでいくのだろう。
六年前、もし誰かと俺が、誰かは異性として、閲覧者と管理人として、密やかで穏やかで少し疼く交流をしていたら。変わらないメールアドレスから、いま、会いませんか、と連絡が来たら。
彼らはどこへ運ばれていくのだろう。俺はどこへ流れていくのだろう。
ずっと日記を読んでいてくれた六年前のきみよ。どうか、さらばとは言わないで欲しい。まだ格好良く終わらせたくはない。
きみに恋していたい。
昔の光が胸に映る。光るディスプレイ、響く打鍵の向こう、流れる水の音、耳に残る声は、悪いことはみんな忘れたあとの、むかしのひかり。
遮断機の音が聞こえる。俺には守るものが出来た。さらばとは、言わないで。

御伽噺

あるところに辻本清美がいました。辻本清美は後援者に「わたし、へこたれへん!」「ウチ、帰ってきました!」などと言っては拍手を浴びていました。言えばいうほどテカりがひどくなり、やがて辻本清美は照り輝き、太陽になりました。原始、女性は太陽だった、と、ウーマンリブ歴史観が大きくゆがんだ瞬間でした。太陽にはペニスがあり、同様の神話があったが、彼はそれを知らなかっただろう。清美は輝く。死ぬまで一緒にいましょうと言ってた小鳥は逃げた。なんだかいいことありそうな辻本清美がわるいの。

フェミニスト

http://mixi.jp/view_community.pl?id=433083
『喫煙ブスよ、養豚場へ帰れ!!』コミュニティ

女性+ブス+喫煙=迫害という清々しいくらいストレートな数式を打ち出した上記コミュニティ。ここで女性という要素から動物的に「ウーマンリブウーマンリブ!」と唱え田嶋陽子先生の陰毛にむかって敬礼する萌え行動を起こす方もいらっしゃるかと思うが、陰毛に敬礼するのは萌えた結果田嶋陽子先生の陰毛に敬礼するのか、田嶋陽子先生の陰毛に萌えた結果ウーマンリブを信奉するのかここまでの情報では不可分である。故に田嶋陽子先生の陰毛を燃やした場合の祝祭的興奮をどれだけ彼或いは彼女或いは彼ら或いは彼女たち或いは彼彼女ら或いは田嶋陽子が享受できるかは不明であり、ウーマンリブに関しても、煙草を吸う女に反応しているのかブスな女に反応しているのか、ブス煙草に反応しているのかも予断を許さない、余談ではあるがブス煙草というのはミス煙草といった称揚と対を成す概念であるのかそれともブスっぽい煙草であるのか煙草っぽいブスであるのかそれも不可知である。煙草っぽいブスというイメージはどのような人生と骨格をもってすれば獲得できるのか全く興味果てるを知らぬところである。故に、フェミニズムとブス迫害は共存し得ることが明白であり、フェミニストであろうがブスが大嫌い故に田嶋陽子も大嫌いその陰毛も大嫌い田嶋憎けりゃ性毛も憎いといった事態が現出することは極めて自然であり選択的行為として正当な文法に則った行動であることは論を俟たず田嶋陽子の性毛は果たして剛毛なのかといった知識欲は人々の間から全く消えうせ、知らない知識を知るんだぜといった脳が享受する知識という快楽にも検索的行動が付随することがまた明晰な事実として現前するのである。即ちドブス!身も心も!といった概念は、ドブスであるが故の検索的印象である可能性も否めず、ドブスがするオナニーはよくても美人がするオナニーは許せない何故ならオナニーするくらいなら俺としろ、というデータベース化した欲望もまたこの事実と連関して論考することが出来よう。普通の男の子に戻りたい、と射精障害を克服すべく、膣でイケる艶男アデオス)になりマチルダニキータちぎっては投げちぎっては投げする一穴主義撃ちてしやまん威嚇射撃ではなく全弾命中であります本番一発着床終了ってね、といった、中出しできない男とはセックスするなと言い放った「男」チャールズ・ブロンソン氏の命題に則るべく、只今絶賛オナニー断ち、目指せ夢精、といった筆者である。何よ!アタシだって、オナニーくらいするわよ!天使なんかじゃない!膣という器官と、手という器官の置換を行うデータベース処理。ブスはゆるしませんよ!だってブスだもん!天使なんかじゃない田嶋陽子天使なんかじゃない!」。テンキュー。yohyohミスター&キャンディー。

gotyagotya2

情報が要素であると仮定するならば話は早いのだ。可視不可視を越えた情報が要素でありその集合である事実もまた情報であるとするならば、情報とは要素であり世界であるという、空間/時間を越えたものとしての存在を画定する。web2.0とは不可視に対する非選択的絶望であり可視領域への非選択的憧憬であり、それはデータベース化を望むわれわれの希望あふれる絶望としての可視領域への同一化願望であり、それは情報化を望む単体要素としての、牛が牛になろうとする滑稽な様子であり、最適性理論上の最急降下法である。それのみ取り入れた様子は動物化と表現されることも少なくないが、戦略的にweb2.0及び可視領域の最適化を計らねば、それは呆然と情報にあだ名を付けるが如きピーポ君現象であり、データベースからの可視領域範囲内の要素を取り入れたデータベースとして、自己が存在する世界という同階層に言及する愚を犯すことだろう。要素としての、情報としての、データベースとしての自分にどのような参加を行うか。可視領域の設定は、自らのデータベースから導出すべきであろう。情報に名前をつける行いが、世界からの強引な引き起こしであることは、既知に過ぎる。われわれは情報であるが、しかし、君の名を呼ぶ。身体的反応に全てを委ねてはならない。それはデータの出力であり、全てではないのだ。君に名前がついていることを、嬉しく思う。